世界の中で最も早いスピードで高齢化が進む我が国、日本。しかし、その超高齢化社会を取り巻く環境は、決して暗い側面だけではありません。介護医療の未来を明るく切り拓くため尽力されている、ケアマネージャーで「未来をつくるkaigoカフェ」代表の高瀬比左子さん、在宅医で医療法人社団悠翔会 理事長の佐々木淳さん。お二人のプロフェッショナルにお話を伺いました。

ロイヤル入居相談室 上席執行役員 谷本 有香

インタビュアー
ロイヤルハウジンググループ 上席執行役員 谷本 有香
証券会社、Bloomberg TVで金融経済アンカーを務めた後、米国でMBAを
取得。世界の3000人を超えるVIPにインタビューしてきた。
フォーブスジャパンWeb編集長としても活躍中

内科・消化器内科 医療法人社団悠翔会 理事長・診療部長 佐々木 淳

大規模なチーム体制を組み、医師の負担を減らしながら3500人の患者を24時間365日見守る在宅総合診療を展開している。

介護福祉士・社会福祉士・介護支援専門員 ケアマネージャー 高瀬 比左子

「未来をつくるKaigoカフェ」主宰
介護関係者のみならず多職種、他業種を交えた活動には、これまで延べ5000人以上が参加。

医療・介護に携わるようになった「きっかけ」

谷本有香(以下、谷本):そもそもお二人が現在の職業に就かれたきっかけは何だったのでしょうか?

高瀬比左子(以下、高瀬):介護職に就く前、私は一般企業で働いていました。そこで、誰でも私の代わりになれると思ってしまって、自身が役に立てているという実感が得られなかったんです。たまたま、そんなときに先輩に誘われて介護の講座を受けたのです。それがきっかけになりました。実際、現場に入ってみると、利用者の方から感謝の言葉を頂いたり、非常にやりがいを感じられる場所でした。「生きている」と実感を得られたと言っても過言ではありません。

佐々木淳(以下、佐々木):実は、医者に興味を持つ前は魚屋になろうと思っていました(笑)。
医者を目指したきっかけは、漫画「ブラックジャック」です。「ああ、医者ってかっこいい!」と。医大生になる瞬間まではブラックジャックを目指し、外科医になろうと決めていたのですが、将来的には、脳外科も心臓血管外科も形成外科もすべてできる医者になりたかった。しかし、意外とそういうキャリアってないということがわかったんです。それで、総合診療ができる数少ない都内の病院のひとつ、三井記念病院を受けました。

谷本:佐々木先生は、その後、勤務医から、東京大学大学院医学系研究科の博士課程に進まれますよね。

佐々木:大学院では福祉課程というところで4年間勉強することになり、基礎研究でC型肝炎のウィルスの研究をすることになったんです。しかし、全く興味のない領域で、毎日が苦痛で、教授に「つまんないです」「辞めたいです」ということを訴えたら、とりあえず休学してやりたいことをやってみろ、と。そこで、大学院に籍を置きながら、地域医療の病院を見たり、ソーシャルヘルスケアへの興味から、病院とは違う角度で医療にアプローチできる手段として、マッキンゼーの入社試験を受けてみたり。結局、マッキンゼーから内定を頂き、入社準備を進めているときにしていた在宅診療のアルバイトがきっかけで、この在宅療養支援診療所を開設することになったんです。

谷本:高瀬さんは、その後、「未来をつくるkaigoカフェ」を始められます。どういう経緯があったのですか

高瀬:介護業界に携わっている中で、現場の悩みを共有したり、自由に思いを語れるような場がないと感じていました。ならば自分で必要な場をつくろうと。介護職の人にとって、他の職種と連携していくことや、介護の専門性を言語化することは必要不可欠ですから。実際、カフェに参加した人たちは、リラックスした雰囲気の中で、介護にまつわるディスカッションをし、気づきを自身の仕事や現場にフィードバックしているようです。

「病気=不幸」ではない

谷本:佐々木先生は、現場で感じる課題感などはございましたか

佐々木:医者の価値観から言うと、病気を治せないというのは医学の敗北のように感じるんです。病院の医者たちは皆、病気を治療することで患者さまを幸せにしようとずっとやってきたし、僕らも治療医学だけを学んできたわけですから。ただ、残念ながら、治せない人たちの方が実は多いという現実がある。そのときに健常者である我々は「病気の人たちが治らないのは不幸だ」という価値観を持っているんです。けれど、その価値観が覆りました。

谷本:どんなきっかけがあったのでしょうか

佐々木:在宅医療のアルバイトをしていて、病気や障害と共に生きるということを上手に受容している患者さんにお会いしたんです。人口呼吸器を付けていたALSのおばあちゃんです。その方は、眼球だけちょっと動くので、それで文字入力して僕らとコミュニケーションするのですが、人工呼吸器付いていて動けないんですよ。一日中ベッドの上で天井だけ見ていて。当時、僕は「こんな風に生きていて何が楽しいのかな」って思っていたんです。けれど、価値観が変わった。それは、彼女は元々食べるのが大好きな人だったんです。呼吸ができない人は食べる力もないから、もちろん食事はできないのですが、あるとき、家族と一緒に京王プラザホテルのビュッフェに行ってきたと言うんです。ビュッフェに行って何するのだろう?食べられないのにと思いますよね。けれど、実はALSって運動障害だけなので、感覚は保たれているんですね。だから食べたいものがあったら、口に入れてもらうんだと。飲み込むことはできないけれど、味は分かるから、結構色んな味を楽しんできましたとおっしゃる。また、彼女はワインが大好きで、ワインも口に流し込んじゃうと器官に垂れ込んで肺炎になっちゃうんですけど、ガーゼに染みさせて口に乗っけると、味も香りも分かるんです、と。
酔っぱらいたいときは、胃ろうからワインを入れるんだそうです。

谷本:それは確かに価値観が変わるエピソードですね。

佐々木:また、彼女はこんなことも教えてくれたんです。僕は人工呼吸器がついている方はとてもつらそうに見えていたのですが、全然辛くないという。「先生たちも意識して呼吸していないでしょう」と。そして「患者さんが辛いのは、先生が人工呼吸器の設定が下手だからだと思いますよ」と(笑)。一回何CC空気を入れるとか、呼吸の回数を何回にするとか、その人に最適な形でセッティングしてさしあげたら、本人は全然辛くも何ともないのだというんです。実際、彼女はトイレに行くと息が上がるし、寝るときは呼吸が減るから、それに合わせてご主人が微調整しているんです。そして、こうもおっしゃられた。「私がこの病気になって、旦那はようやく私の方を振り向いた」って。「夫婦の絆を確認できたのは良かったし、今も人の手の世話になっていてとっても不便な毎日だけど、でも私は不幸だとは思ってないです」、と。

谷本:必ずしも、「病気=不幸」ではないということは救いになりますね。しかし、その一方、ご家族の方も、つい患者さまの苦しみに共振してしまい、同じように苦しんでいらっしゃる方も多いと思います。

佐々木:僕は患者さんが感情を表出したときに、一人の個人としてそれを受け止めるというのと同時に、専門職として、感情を客観的にアセスメントします。誰もが辛い状況を受け止めなければいけないときに、最初にくる感情ってやっぱり怒りですよね。そんなとき、キューブラー・ロスの5段階モデルではないですが、今、受容の中のここで辛い思いをしているのだな、というように俯瞰的にみられるようにすることが重要ではないでしょうか。

フラットに患者さまに寄り添う

高瀬:お話を伺っていると、「健康」という意味についても改めて考えさせられますね。

佐々木:そうなんです。僕が在宅医療を通じて患者さんたちに教えてもらったのは、我々健常者が思っている「健康」というのは、健康であることが目的ではなくて、健康はあくまで手段であるということ。では、何のための手段かっていうと、やはり望み通りの生活を送るための、あるいは自分が人生の主人公として最期まで生きるための手段で、その目的さえ達成されるのであれば、別に身体の多少不具合があっても、そこは機械、テクノロジーとか、医療機器とか、福祉器具の力を借りてでも、環境を調整できればいいんじゃないかと思うんです。
お医者さんは、治せなくなったときに、治せないからごめんじゃなくて、治療という手段で患者さんを幸せにできなかったら、今度は「環境」という立場で患者さんをサポートし、足りないところを埋められるような支援をすればいいと思うんです。

高瀬:「環境」という意味では、私もフラット感覚を持っていただけるように気をつけています。施設ですとどうしても入居者の方が気を遣う、スタッフの方が、立場が上のような感じになってしまうことがありますから。その感覚を取り戻すためにも、運営するカフェは役に立っていると思います。

佐々木:僕が患者さまに向き合う際に意識していることは2つあって、1つは自分の価値観を押し付けないということ。自分の価値観は当然あるし、大事にもしているのですが、相手がどういう風な気持ちでいらっしゃるのかとか、何を大切にしているのかとか、先ずはそれを聞かないと、どんな支援がベストなのかは分かりません。

もう1つは、患者さまが最期どういう風に生きたいか、自分は何を大事にしているのか、また、何を失ってもこれだけは守りたいとか、その人の思いを中心にするというスタンス。医者として、患者さんを指導するとか、説明するとか、同意させるじゃなくて、一緒にフラットに考えて、求められれば自分たちの知識や経験や考えを伝え、経過の見通しをみんなで受け入れられる形で共有し、その上でどういう選択肢を取るか、そして、その選択したときに、どういう課題があるか、それをどう解決するか、一つ一つアドバイスもさせていただきます。最終的には本人が歩きたい道をガイドとして横について行く。そんなスタンスです。

「自分の力で生ききったね」

谷本:在宅医療、自宅介護において、ご家族の方へ気を使われていることはありますか

高瀬:介護される側もする側もそうですが、固定概念を外してあげることだと思います。
その状況の中での楽しみやできることを一緒に見つけ出してあげたり、引き出してあげることがケアスタッフやヘルパー、介護職のお仕事だと思っています。

佐々木:僕らが気をつけているのは、相手を医療に依存させないようにすることです。よくやってしまう失敗は、何かあったら僕たちがいるから安心だよ、ということです。そうすると、僕らがいないと不安になってしまい、最後になればなるほど、先生なんとかならないのですかという風になってしまう。在宅医療の基本は、自分の力で生活を継続すること。そのために外部の力を上手に使っていくことなんです。「先生に生かしてもらったね」ではなく、「自分の力で生ききったね」ということが大事なんです。

高瀬:死はやはり考えたくないですし、大切な人であればなおさらですよね。それをどうやったら先延ばしできるか、ではなく、どうやってみんなで受け止めるかをちゃんと考えることが必要だと思うんです。

死を意識するときこそ、生の喜びを実感する

佐々木:僕は印象に残っている患者さんが一人いるんです。彼は57歳の男性で、5年前に肝障害って診断されたときに、実はもう進行肝癌で、何度も治療を繰り返してきたんだけれども、5年間を経てもう末期状態になり、これ以上治療はできないという状態で、お家に帰ってくることになったんですね。それで、僕が主治医になって、彼の人生に伴奏させていただくことになったんです。彼はシステムエンジニアで、すごく優秀な方で、自宅でプログラムを作って納品し、それで生計を立てていました。

癌の患者さんというのは、亡くなる直前まで結構元気なんですね。
体重が減少したりとか、痛みが出たりとかは結構早くから来るんですけど、起きれなくなって、食べれなくなって、呼吸が止まるっていうのは最期の2週間とか4週間の出来事で、それまでは結構動けるんですね。
彼は、最後の治療を終えて、病院から家に帰って来たときは、本当に普通のおじさんという感じだったんですけど、その後、お腹に水がたまってきて、黄疸が出てきて、だるいとか痛いとか、辛いとなってきて、そういう症状を薬で緩和しながら3ヶ月くらいで亡くなったのですが、退院したときに彼が家に帰りたいと言ったもう一つの理由は、実はやりかけの仕事が家にあると。それが3ヶ月くらいかかると言うので、ここから余病3ヶ月と診断されているところを何とかぎりぎりまで仕事ができるようにお薬を使ったりとか、キーボードを打つときにお腹に水が溜まっていると苦しいと言うので水を抜いたりとか、最終的には水を抜いても追いつかなくなったので、ベッドの上でパソコンを打てるように台を作ったりとか、結局亡くなる3日前まで仕事をして、無事納品できて、最期は奥様の友達とかクリエーターとかすごく楽しい人たちが多かったんですけど、みんなに見守られて、最期は自宅で他界されたんです。

その後、奥様からお手紙を1年くらいしてからもらったんですけど、彼女の手紙がすごく印象的だったんです。というのも、人は死というものを意識するときにこそ、生の喜びと重みを初めて実感するんだと。ご主人と過ごした最期の3ヶ月は、家族として一緒に暮らすという大切さをすごく噛み締められたというんです。2人の息子たちにとっても、素晴らしいお父さんの姿や生き様が、彼らの教育になっていくのではないかと思うと書いてあったんです。また、ご主人が使っていたパソコンをそのままスタンバイ状態に今でもしているそうなんです。そうすると、パソコンって点滅するじゃないですか。その点滅があたかもあの人の呼吸のようで、家族と共にこうやっていつもいてくれていると実感できるようなんです。

最期は心配だからと、病院でいい治療を受けたいとおもってしまいがちですが、そうすると、病院の先生たちに看取られてしまう。でも、自宅で最期まで生活の中で病気と共に生きて、家族と共に亡くなるということを経験すると、確かに実態としてはなくなっちゃうけど、だけどその生き様が、命をつなぐんです。

谷本:
生活の場で最期まで生ききる、ということですね。家で死ぬというのではない、最期まで生きると思えるのが、在宅の良さでもありますね。
佐々木先生、高瀬さん、本日は貴重なお話をお聞かせ頂き、ありがとうございました。

(了)